富島の歴史はまさに、信濃川・猿橋川の水との戦いの歴史 といっても過言ではありません
国会に取り上げられた、猿橋川の記録です。

84-衆-災害対策特別委員会-19号
昭和53年07月11日
発言者:渡辺秀央

○渡辺(秀)委員 まさしく課長がおっしゃられたとおりだと思います。明治二年に着工した大河津分水がいかに大切なものであったかということが、この百年にして初めて位置づけられたというか立証されたというようなまことに皮肉な面もあるわけでありますし、この百年祭においてかく立証されたという面においては、あるいはまた一つの意味合いがあったのではないかというような感じがいたします。
 同時に、私は、この関屋分水から下流がきわめて危険であるというそのことに対して、ひとつ安全、かつまた市民の生活が守られるような処置を早急に、これは当局としてやっていただきたいと思うわけであります。
 さらに、私は大きな問題から先に入りましたが、もう一つは、長岡という地域がございます。御案内のように、あそこの地域は、昔、八丁潟といいまして、いわゆる沼地帯でありました。それが明治以後開田されまして、今日のように肥沃の地としていわゆる新潟県を代表する穀倉地帯になっております。これが、例年あるいは隔年と言っていいぐらいに、この中小河川のはんらん、あるいはまた用排水の完備がなされていないがために大変な被害を少しの雨ですぐに招来するという結果を来しております。しかしこれは、この地域の真ん中を走っております猿橋川という一級河川がございますが、この猿橋川の改修がもしももっと早くできておったら、今回のあの地域における約四千町歩、あるいはこの影響下にあるところはもっとあったかと思うのでありますが、それらの田畑が救われたということが言えるのではなかろうかと思います。
 この猿橋川の総体予算が百十五億円だそうでありまして、実際に手をつけられたのが四十二年ぐらいからの着工だそうでありますが、一年間にこれの改修事業費が一億七千万か八千万ぐらいだと承りました。百十五億円もかかる改修総予算の中で、毎年の事業費が一億七、八千万ぐらいでは、これこそまさしく、信濃川の百年ではありませんが、百年かかってもできないということになるわけであります。
 これから、これだけ近代社会の中で、あるいはまた技術革新がなされた農業生産をやっていこうとしている農民のことを考えますと、まさしくこれは矛盾した事態と言わなければなりませんし、農民は雨が降れば絶えずこの危険とそして危惧の念にさらされていかなければならない。
 この猿橋川の改修について私も実際の状態をこの目で見ました。まさしく百年前に逆戻りをしたような事態でありました。今後具体的に直轄としてもっと大胆にこの改修を進める御意向があってしかるべきではないかと思いますが、その辺のお考えと決意のほどを承っておきたいと思うわけであります。

○川本説明員 ただいま先生からお話のございました猿橋川でございますが、今回の雨によりまして、長岡地区を流れておりますこの猿橋川の流域では、総雨量で四百ミリを上回るような多量のものでございました。そのために、猿橋川の流域におきまして、浸水面積で約千二百ヘクタール、浸水戸数も約七百戸以上というような大変な災害が発生したということでございます。
 この猿橋川は、昔は信濃川に上流で合流しておったわけでございますが、信濃川の排水、そういったもので大変災害が大きいということで、わざわざその合流点を下流へ下げまして大河津分水の下流で合流させた。そういったことで自然排水が可能なようになった川ではございます。しかし、いま先生おっしゃいましたように、昭和四十二年から改めてまた中小河川改修事業で着手しておるわけでございますけれども、下流の一部に用地の問題で地元の皆さんの御理解が得られないといった地区もございまして、先生おっしゃるとおり大変事業の進捗がおくれておりまして、七%ぐらいの進捗しか上がっていないというのが実態でございます。今回の水害にかんがみまして、ぜひともその下流の難航しております用地の問題を御理解をいただくように私どもも努力いたしまして、県当局の方もさらに指導いたしまして、こういった災害を契機に改修を積極的に行いたい、そういうふうに思っております。

○渡辺(秀)委員 大変細かいことを御質問して恐縮ではありますが、現実に今回のあの周辺の水害が河川の未改修というところから起こっている、こういう基本的な考え方の中から、私はあえてお許しをいただいて、これらの細かな分にわたって御質問を申し上げているわけであります。
 そこで、いま申されたように、早急に、あるいはまた地元の理解を得てとおっしゃっておられますが、しかし地元の理解によって予算額が増額されるということであるのか。このままの状態で、このままのパーセントの予算づけであってはとてもこれは間に合わない、あるいはまた年じゅうこういう問題が解消しないということだと思う。私は、猿橋川の改修に当たってはもっと具体的に改修終結年度を設定して、それに向かってやっていくということが大切ではないかと思うのですが、もう一言お願いいたします。




46 - 衆 - 災害対策特別委員会 - 20号
昭和39年10月09日
発言者:上田 稔

○上田説明員 まず第一点の、見附分水という案でございますが、この案につきましては、実は刈谷田川の本川の改修をいたしますときに、本川改修をするか、見附分水をするか、どちらがいいだろうかということを、一応概算では検討しておるわけでございます。そうしますと、先ほど申し上げましたように千五百五十という流量が計画になっております。そのうちで現在流れ得るのは六百五十か六百九十ぐらいしか流れない。残りの約手トン近い九百トンぐらいのものがこれを分水しなければいけない。ところが、いま、猿橋川でございましたか、ちょっと名前が違っておるかもしれませんが、猿橋川だと思いますが、たしかそこに信濃川に沿いまして非常に緩流の排水路が、排水の川が流れております。分水いたしますと、これをどうしても上を越えていかなくちゃいけないのじゃないか。そうすると、その猿橋川というのは、たしか以前はいまの合流点よりももっと上流のほうで本川に入っておったものを、どこかつけかえて下のほうへ持っていったほどの、非常に信濃川の水位に左右されて排水のしにくい川であったというふうに考えておるわけでございますが、その川をこれは横断しなければいけない。横断といいますか、立体交差をして持っていかなくちゃいけないというような問題がございますし、それから、本川の水位が上がりますと、その対岸に黒川という、これもまた非常に入っております川でございますが、緩流でございまして非常に排水のしにくい川ですが、この川のやはり排水という問題を考えなくちゃいけない。こういうことで、しかも本川そのものも水位が千トン近いものが上がっていくということによって増強をしなければいけないということで、これが下流の改修をやるよりもずっと金がかかり、工期がかかるのじゃなかろうか、こういうことで、現在の本川改修――どうしても六百五十トンの現在の刈谷田川を千五百五十トンのものにする原川改修のほうが有利である、こういうふうに考えてやっておるわけでございます。
 それからもう一つ、先生のおっしゃっておりますのは、貝喰川のことかと思いますが、貝喰川というのは、たしか五十嵐川の旧信濃川との合流点の近くで合流をしておる川ではないかと思います。その川は、流域の中の排水ということで、結局、刈谷田川と五十嵐川の間の部分の平たん部分の水を出しておる川ではないかと思うわけでございますが、これが今度の災害で非常にはんらんを起こしておるわけでございますが、この原因を実はよく調べてみないと――先生のいまおっしゃっておりますのは、直接に旧信濃川にはけというお話でございましょうと思うのですが、いかがでございますか。


38 - 参 - 農林水産委員会 - 閉5号
昭和36年09月01日
発言者:清澤俊英

○清澤俊英君 今度農林省のどなたか、官房長官、おられるのか、今の問題で。というのは、今もあなたがお聞きの通り、最近は非常に七里とか十里ぐらいの用水路ができましたね。川幅も十間もしくは十五間ぐらいのものもあります。そういうようなものがあるんだから、これが用排水でいっているんです。そういうものがあばれ出して隘水するのです。というようなものに対しては何ら今水防の方法がとられておらない、これに対してそういう溢水等を見た場合に資材を使ってやった場合には農林省としてはとうお考えになるのか、私は当然建設省が考えていると同じ方向で考えていただくことがほんとうじゃないかと思っております。このたびの長岡における市内の浸水のおもなるものは、私はやはり福島潟あるいは新大江等の破堤、隘水だろうと、こう思います。それが相当の大きな力で市内に流れ込んだんじゃないか、何せ福島潟のごときは一尺ぐらいの溢水をやってどんどんと流れてきているんですから、こういう場合だれも手はつけない、何とかする考えはないか、これが一つ。
 それからその次は、大体私よりはあなた方の方がよう考えられるんですが、こういう完備したる用排水はあとから出てきたのです。その前には各地区でいろんな用水路を利用して、村ごとに用水関係の組合を持って、そして水路を持っておった。それらが統合せられて、そこで一つの何里という用水路の中には、大体用水と排水と両方加わっている。そこで用水の場合が大体中心で、いろいろの工作物が作られているのです。そうしますと、大体川の幅が十間あるとするのだ、十間ある川に対して用水が六つなら六つあると、こうしますのです。そこに用水の施設を作りまして、そうして閘門というのですか、わしら閘門と言っておりますが、こういうものをつけてとびらを上げ下げする、これは非常に不完全である。同時に足がつく、十間の場合としますと大体五尺か四尺のとびらがつくのだろうと思う。四尺なり五尺の足が九枚つくわけです。約半分水路を押えていくのです、水路を抑えていきます。排水というときになりますと、これは用を足さないことになる、こういうものが四つも五つも長い間につけられる、こうなりますと実際上流において湛水した場合においては、これはもう排水の価値を失ってしまう、こういう問題が出てきております。だからいろいろ話し合いをしまして、そうしてその用水をしないで済むような水や、他の方法でその用水路の下をくぐらして、その用水――閘門を使う地区に水を送っているのです。そうしてその用水路をこわす約束でやっても、今のような様子ならそれはこわしはしない、なかなかこわさない、これは別な昔からの習慣による一つの水防用水組合の施設でありますけれども、管理しておる者が、習慣によって別な者が管理しておるからこわさせない、こういうはなはだしい例さえ残っているのです。だから私はとこまで来ました用排水路に対しては、一つ統一できる何かの法律を作って統一していかなければならぬ、そういう両用を兼備した形でなければうまくいかないのじゃ、ないかと思う。これは実例として一つの川を指摘しまするならば、われわれのところに猿橋川という川があります。これは長さは約昔は二里半ぐらいのものだった、ところがそれを約一キロ半くらい、六キロぐらい下へ下げて、そうして信濃川の分水まで下げている、そういう川がある、そういう用排水路がありますが、そこにつけられたせきというものは二つあります。閘門は二つあります。第一番のせきは長呂というところにある、これでまず一つつっかえてしまう。第二番目は真野代というところに、最後のところにある。今度の水害で私はその長呂までは行って見ることはできませんでしたが、真野代までは行くことができた。もう時期がおくれてせきを上げることができないで、一枚はとうとう水圧のために上げることはできないで死んでおります。それから十分上げることはできないから、いろいろな障害物がかかって、そうして水差は約二尺五寸ぐらいある、われわれの目で見たところで二尺五寸、これじゃ何ら用をなさないと思うのです。こういうものに対して私は総合的な用排水の管理の法律を作って、そうして不当な問題を解決すると同時に、用水敷などを作る場合には、これは一つ排水というものがある限りにおいては、やはり排水路を考えて、そこだけ広くするなり、何するなり考えなかったら、さあというときの排水というものは全然問題にならないと思うのです。こういう点に対してどうお考えになっているのか。何か新聞などを見ますと、衆議院において新しく立法せられる中に排水という問題がある。いろいろ石田君などに聞きますと、まあ君の言うようなことも加味して、今農地法で、土地改良法の中に入れていくか、特別立法でいくか、いろいろ研究しているなんという話しは聞きますが、農林省としてはこれに対してどうお考えになるか。私はもうその時期にきていると思うのです。ほとんど不統一の中に行なわれておる。上流はいまだ一反千六百円も取って猿橋川用水組合がこれを管理しておる。その長呂のせきから下は中小河川になっておる。こういう状態ですから、その長呂の下が、行ってみましても、上流では十五間くらいの川になっておる。長呂の下に参りますと、三間くらいになっておる。それから一キロくらい下りますと六十間くらいになっておる。こんなばかげたものを作ってやってみたところでこれは問題にならないと思うのです。こういう点についての御意見をお伺いしたいと思います。


26 - 衆 - 農林水産委員会 - 54号
昭和32年08月22日

発言者:大野市郎

○大野委員 お許を得自発的に参加しました私が委員派遣第二班の報告を申し上げます。
 第二班は、愛知用水公団の事業の運営状況、長野県における酪農事情及び新潟県における土地改良事業について、六月二十日から二十五日に至る六日間、川俣、山田委員と大野、石田委員か自発的に参加し調査して参ったのであります。以下調査の順に従い御報告いたしたいと思います。
 まず愛知用水公団の事業の運営状況について申し上げます。六月二十日午後名古屋市の公団本所に着きましたわれわれは、直ちに伊藤、櫻井、原田、中川の各理事から業務概要並びに各理事担当の事項について報告を徴した後、愛知、岐阜両県当局者から意見の開陳を求め、ざらに受益者たる地元代表者からも意見並びに陳情を聴取いたしたのであります。以上により、公団本所での日程を終り、現地の牧尾橋ダムサイトを視察すべく木曾福島に向った次第であります。
 翌二十一日午前中牧尾橋堰堤事業所におきまして、小川工務部長及び現場事業所の寺田事務部長から、主としてダムに関する説明を受け、またダム建設により、かさ上げを要する森林軌道について塚野長野営林局経営部長、木曾福島営林署長から説明を聴取し、さらに水没する長野県西筑摩郡三岳村、王滝村両村の村長並びに水没者代表から補償問題に関し陳情を受けたのであります。以上の説明等を聴取した後、牧尾橋に参りまして、目下行われておりますダム建設準備工事のボーリングの状況や水没地点等を現地について調査いたし、愛知用水公団に関する調査を終ったのであります。
 御承知のように愛知用水事業は、昭和三十年八月公団法の成立に伴い、九月三十日事業の基本計画が告示され、十月十口同法による公団の発足を見るに至ったのでありますが、その後公団は、内部機構を充実しながら事業着手のため事業基本計画に基いて現地との話し合い、工事の実施設計、補償調査、発電水道との調整、世銀との借款交渉等を行い、その結果発電及び水道業者との負担割合に関する基本協定を締結し、補償問題に関しては、堰堤地区の対象物件の調査を終り、幹支線水路の公団直営分、補助ため池及び県への委託分については、目下調査中であるのであります。事業の実施計画につきましては、三十一年十月ダム分について完成し、愛知、岐阜及び長野の三県に協議して、十二月農林省に対し提出したのでありますが、たまたま第三次余剰農産物の受け入れ中止により、低利資金から高利資金に変えるため、所要事業費の増額、負担割合の変更という事態を起し、資金計画に重大な変更を及ぼすこととなり、かつダム以外の幹支線水路、ため池等を含む実施計画を提出するよう、農林省の方針が決定し、公団はこれに基き、当初の所要事業費二百六十四億円を三百億円に変更し、農林省の方針に沿った事業実施計画書を本年六月十日に再提出し、これが同日承認され、直ちに関係三県に協議回答を得て、六月二十五日、事業基本計画の変更及び事業実施計画が告示されるに至ったのであります。
 われわれの調査の際は、承認された計画の関係県との協議を行なっておる最中であり、ようやく告示を目の前に控えた際でありまして、その後六月二十五日に告示され、二十七日から二十日間公衆の縦覧、異議申立て次いで審査期間二十日間、公団が農林大臣に対する意見書提出十五日間、農林大臣の審査期間二十日間、合計七十五日間の決定期間を経て、工事に着手し得る段取りとなるわけでありまして、九月半ばごろの着工と言われております。
 一方世銀との借款交渉は、当初愛知用水事業を国の財政状況から外資導入により実現しようとして昭和二十六年、世銀に借款を申し入れ、二十七、二十八年に同行から来日した際交渉を重ねてきたのであります。他方事業の技術顧問会社として、エリックフロア社と交渉の結果、三十一年五月、技術援助協定を結び、日本駐在総支配人を初め六名の技術者が来日しておるのであります。昨年十一月、同社の要請に基き、公団技術職員が渡米し、さらに十二月、櫻井理事が渡米して世銀に対し技術報告書を提出し、本年の三月、技術上の問題について世銀の了解を得たのであります。また資金計画については、四月世銀職員来日の際計画案を説明し、六月中旬政府において確定を見た後、下旬岡田理事を派米して借款契約の下交渉を行い、その結果浜口総裁が渡米して八月十日、七百万ドルの資金借款契約が調印されたと報告せられているのであります。
 以上が公団発足後における事業の概要でありますが、これらのことはその大部分が去る二十六国会開会中の本委員会における審議の際明らかにされ、また新聞などにより委員各位も御承知の通りでありまするが、当時地元農民並びに公団職員の早期工事着手の要求や、農林省と公団との対立あるいは愛知住宅公団などの不評など、世論のきびしい批判がありましたが、今や実施計画の告示により、近く着工されることにより、これらの問題も解消されるわけであります。しかしながら実施計画における資金計画は、基本計画に対して総事業費では三百二十一億円が十億円増額されて、三百三十一億円となり、負担において国、県及び農民は約三十七億円増額して計二百七十八億円となっておるのに対しまして、他の電気、水道などは約二十五億円減額されて、六十二億円となっておるのであります。従って最終的な総償還額も、国は二十億、県八億、農民十八億計四十六億が増額されて、計三百五十一億円の償還額となり、これに対し、電力などは二十億円が減額されて百十五億円となっているのであります。
 このように農業については大幅に増額され、反当りの農民負担の償還額は、総額三万五千六百六十五円が四万一千三百五円となって五千六百四十円の増額、一年から十年までの年額が二千八百二十一円が三千百八十一円で三百六十円、十一年から十五年までの年額千四百九十一円が千八百九十九円と四百八円、年平均二千三百七十八円が二千七百五十四円とそれぞれ増額されることとなったのであります。
 このように受益農民の大幅負担額の増額及び他の電気、水道などの減額は、公団法の審議の際にも論議となった負担割合の不公平という点がさらに農民に不利益となるので、将来に大きな問題を残すことも心配されるのであります。また計画通り五カ年間で完成し得るかどうかの点も、現場の技術者はようやくできるではないかとの意見でありましたが、これら事業が計画とそごしている例が多いのでありますから、十分の用意をもって進められんことを希望いたす次第であります。
 補償問題につきましては、現地の関係者の意見を聞いたのでありますが、それによると電源開発事業の補償より低い線を考えていると漏れ聞いておるので、少くとも下流の坂下ダムや佐久間ダムを下回らない線で補償されたい、また精神的にも大きな影響を与えるのであるから、その面にも補償を及ぼしてもらいたいとの陳情があったのであります。私どもも同情に値することでありますのでしごくもっともであると考え、物心両面のしかも現物をも加味した補償が適切であると考える次第であります。今回の愛知用水事業の現地調査の結果は、公団法審議の際本委員会において決議をいたしました事項が、二カ年を経過して着工の運びを目の前に控えてなおこの決議に沿う処置が妥当であると認めこれを再確認して参ったような次第であります。
 次に、長野県の酪農事情の調査について申し上げます。
 六月二十一日午後松本市に着いたわれわれは、直ちに協同乳業株式会社松本工場に参りまして、長野県当局者及び長野県畜産団体の諸君から長野県における酪農の概要を聞き、さらに協同乳業松本工場長などから協同乳業の事業の運営について説明を受け、あわせてこれら諸君から陳情等を受けたのであります。次いで協同乳業松本工場の施設を見学の後、松本市郊外の長野県中央家畜人工授精所を視察して、長野県の酪農事情調査の日程を終ったのであります。
 長野県の酪農は、過去十数年間明治、森永等の乳業資本によって育成されて参ったのでありますが、昭和二十七年有畜農家創設事業を契機といたしまして、農協組織による酪農事業の推進が台頭し、ついに農協大会に議題となって取り上げられ、農民資本が六割を占める特殊企業体としての協同乳業株式会社が設立されるに至ったのであります。これによって農協は従来の乳業資本に対抗し、かつ農民を守るための乳業施設を持つこととなり、あわせて県農協中央会を中心として農村経済計画運動を起し、乳の共販態勢を推進し系統団体は、一体となって総合単協を通じ酪農全般の指導に当り、一方審議会、振興会を設置して、これに農協が協力して、一丸となって酪農振興に対処しているというのが長野県における酪農の実態であります。事実、かって数年前までは明治、森永によってその大部分が集乳せられていたものが、最近では協同乳業三百八十石で三四・五%、明治二百五十石二二・八%、森永二百四十石二一・八%、その他二百三十石二〇・九というようにその比率は大きく塗りかえられているのであります。このように酪農に対する農協等の異常な熱意は、北海道に次ぐ内地第一位の酪農県に進出せしめ、昭和二十年三千二百頭の飼育が、二十六年九千五百頭、本年三万七千頭と十年間に十倍の飛躍的な激増ぶりを示しているのでありまして、五万頭の増殖目標を立てて目下努力をしておるという次第であります。
 次に、協同乳業株式会社について若干申し上げたいと思います。同社は先ほど申し上げましたように、長野県農協関係有志が、二十八年の大凶作に直面した際、根本的な農業経営のあり方について検討した結果酪農による農村建設を行い、このため農民資本によって特殊企業体を設立しようとの趣旨のもとに、吉田正氏、名古屋精糖横井広太郎氏を中心として、二十八年十二月に創設されたものであります。協同乳業の資本金は二億三千二百万円で、長野県農協及び全国の農協団体の一部が六割の株式を持って参加し、四割を名古屋精糖株式会社が持っているのでありまして、事業の目的は酪農を農業経営の中に溶け込ませ、農業経営の安定向上をはかり、農村の振興を期すること、牛乳の加工処理に画期的な近代施設をなし、良質廉価な牛乳及び乳製品を大量生産し、乳製品消費の拡大と酪農を国際水準に達せしめ、酪農製品を世界市場に進出せしめること、としているのであります。
 事業の区域は、当初長野県南信地帯から出発し、逐次長野県を傘下におさめて、三十一年からは関東一円、東海、東北の一部に進出しており、また地域内の農協は振興会を組織して推進し、資本及び役員を出して運営に参加し、生産販売について団体協約を結んでいる状態にあります。
 施設としましては東京北多摩に東京総合工場と松本に総合工場を持ち、ほかに市乳工場を東京に二カ所、その他六工場、十一牛乳所理場を事業地帯に持っております。東京総合工場は総合乳製品工場で一万坪の敷地に四千坪の建物を持ち、一日千石以上の処理能力によってテトラパック、アイスバー等最近輸入機械で全くオートメーション化されているというのであります。われわれの見学いたしました松本工場も日本における代表的な乳製品工場で一日四百石の処理を行い、練乳、粉乳、バター、チーズ、アイスクリーム等を生産しているのでありまして、機械はデンマーク製の連続濃縮乾燥機、密閉型分離機、熱交換殺菌機、真空バター・チャーン、自動充填機、ドイツ製バター包装機、デンマーク式チーズ製造機など、すべて自動式に製造されていく最新式の機械が備えられているのでありまして、われわれもその過程を見たのでありますが、みごとに製造されていくありさまやその衛生的処理に感じ入った次第であります。
 以上、協同乳業の状況でありますが、農協と同社の関係はきわめて密接であることは先ほど申し上げた通りでありまして、関係者の意気まさに軒高たるものがあったのであります。われわれに対する意見の開陳も、特に砂糖消費税の大カン練粉乳に対する課税については振興途上の酪農対策としてきわめて遺憾とするところであるから、ぜひ本委員会の決議の線に沿って免税措置をするよう、畜産団体、協同乳業などの諸君から熱心な陳情があったのであります。その他乳牛の導入、飼料、酪農技術及び指導など、酪農問題についての意見や陳情がなされましたが、これは省略いたします。
 次に、新潟県の土地改良事業について御報告申し上げます。
 新潟県の農業は、信濃川、阿賀野川の豊富な水により土地はきわめて肥沃であり、米の生産五百万石というわが国第一の農業県でありまして、なかんずく北、中、西、南の蒲原四郡の稲作がその中心をなしておるのであります。しかしながらその反面常に河川のはんらんに脅かされ、古くから水との闘争が繰り返され、これを克服しながら農業を営んできたのが新潟農業の歴史であったのでありまして、このような自然的条件が土地改良事業を推進する大きな力となっているのであります。かくして、今ではこの二大河川の流域には大規模な灌漑排水事業が行われ、特に蒲原三郡の水田の九八%、五万五千町歩にわたり工事が施行されているという状況であります。国営事業はすでに三カ所を完成し、残す二カ所の新川、阿賀野川の事業も三、四年の後には完成される予定であります。また、県営事業は約二百カ所、その他団体営の事業を含めて実に大きな土地改良事業が行われておるのであります。
 このような土地改良事業に対しまして、われわれは代表的な事業を視察するため、次のような日程をとったのであります。すなわち、六月二十二日午後新津市に到着したわれわれは直ちに目下国営の大規模事業を申請している阿賀野川農業用水改良事業計画の取り入れ堰堤建設予定地たる五泉市佐取地先に参りまして、計画の概要、現地の状況などを金沢農地事務局長、県当局及び地元関係者から聴取いたし、あわせて陳情を受けたのであります。
 翌二十三日は午前中現在施行中の国営阿賀野川灌漑排水事業について説明を受けた後、区域内の亀田郷土地改良区の沢海揚水機場、栗の木排水機場、升尾揚水機場、岡山地区県営用水路用地、同排水路浚渫工事、国営の横越排水路、泥炭地帯の排水効果についての研究をしている県農事試験場大江山試験地などの現地を調査して、亀田郷土地改良区事務所に参り、理事長から改良区の概況説明及び意見を徴したのであります。さらに、新潟大学井上教授の御出席を願い、主として亀田郷の土地改良事業に対する農民負担の調査結果について報告を聞いたのであります。またここで亀田郷の土地改良事業施行前後の事情を記録した映画を見て、事業の効果がいかに大なるものかを認識したような次第であります。午後の日程は国営阿賀野川灌漑排水事業のうち、その排水能力東洋一と称せられ、昭和三十年度に完成した新井郷川排水機場を視察いたし、さらに目下調査中の福島潟干拓計画について、舟によって現地の状況を調査いたしたのであります。
 二十四日は佐渡に渡りまして、県営事業にかかわる新穂村用水改良事業のため池を調査いたし、三十一年度に完成した本工事が隧道の不完全のため、漏水や崩壊のために貯水できない事情などを聴取いたし、関係の意見陳情を聞いたのであります。さらに、佐渡の国仲平野を流れる国府川の用排水事業の計画について陳情を受け、同日佐渡を立ち、長岡周辺の土地改良事業調査のため長岡に向ったのであります。
 二十五日は長岡市にある新潟県農事試験場に参りまして、試験場の概況説明を聞き、試験中の稲作等を視察した後同所にて過般本委員会から委員派遣を行なった雪害対策についてなお不十分であるから重ねて善処されたい旨の陳情を受けたのであります。さらに、上古志用水、信濃川左岸用水、猿橋川上流用排水等の事業に関し陳情を受けたのであります。次いで中之島土地改良事業に関し役場にて村の当局、土地改良区などの諸君から工事の概要、補助金適正化法違反事件などの説明を聞き、かつ陳情を受けるとともに、同改良区の新土沼排水機場の現地を調査して、同日の調査及び新潟県の土地改良事業の調査を終ったのであります。
 なお、以上の調査をもって第二班の調査を終了し、帰京した次第でありますが、次にわれわれが現地調査を行いました事業について簡単にこれを補足いたしますと、阿賀野川両岸の農業水利事業の計画についてでありますが、この事業の計画は、阿賀野川の両岸にまたがります新発田、新津、五泉の各市、及び北蒲原、中蒲原両郡の大部分を包含した新潟県の穀倉地帯約三万町歩の区域に対して用排水事業を行い、二十一万五千石の増産を期待しようとするものであります。この計画によりますと、阿賀野川の本流五泉市佐取地先に取り入れ堰堤を新設して、これにより左右両岸の所要水量を配分し、また左岸の高位部はこの堰堤から自然流入ができないので、阿賀野川支流早出川の村松町水戸野地先に取り入れ堰堤を設け、さらに阿賀野川から遠いため所要水量が到達しない加治川沿岸は加治川支流内倉川に貯水堰堤を設けて渇水期の補給に充てることとし、これらの水の配分を導入するため、延べ七十六キロに及ぶ導入路を設置しようとするものであります。この事業費は、阿賀野川堰堤十一億七千万円、早出川堰堤七千四百万円、内倉貯水池十四億九千万円、導水路三十五億三千万円、計六十二億円を要することとなっているのであります。
 なお、この計画は昭和二十五年農林省によって採択され、翌二十六年度から金沢農地事務局により調査が開始され、それ以来七カ年を要してようやく終了し、昨年計画書の完成を見るに至ったものであります。
 われわれの現地調査は新津市から五泉市を経て、途中この事業計画に含まれる地域を視察しながら、阿賀野川中流佐取地先の堰堤予定地に参ったのでありますが、この地帯は高位部の用水補給を行うところでありまして、至るところポンプ小屋を建て、堀り井戸の地下水によって畑地を水田として耕作しているのであります。村松郷のごときはこれらポンプが十七カ所もあり、その他の地区にも無数にポンプ小屋が見える状況でありまして、この事業がいかに待望せられているかが察せられるのであります。また一方、この事業の実施を予定して、五泉、村松郷一帯の地域は、すでに用水幹線路等は計画通りとして区画整理を行なっているような次第であります。地元関係者は、三万町歩を受益面積とする愛知用水事業にも匹敵する大規模事業であり、かつ増産効果も二十数万石に及ぶわが国有数の土地改良事業として異常な熱意を傾けており、農林省における調査もすでに完了しているのでありますから、明年度には二期に分けても着工し得るよう強い要望がなされたのであります。われわれも地元受け入れ態勢の十分であること及び土地改良事業、なかんずく本事業のような大規模で経済効果の大なるものに対しては過般の土地改良法の改正、国営土地改良特別会計の設置の経緯などにかんがみ、早急に着工し、しかして早期に完成せしめることが肝要であると考えますので、明年度から工事に着手し得るよう希望をいたす次第であります。
 次に国営阿賀野川灌漑排水事業について申し上げます。この事業はすでに昭和十七年に着工され、三十四年度には竣工する予定のものでありまして、われわれが六月二十三日に現地調査を行いました亀田郷を初めとする新井郷川排水機場などは、すべてこの事業にかかわるものでありまして、低湿地の排水を主とする受益面積二万四千町歩、増産効果八万四千石というのであります。なお本事業の内容は省略いたしましてこのうちの亀田郷について若干申し上げることといたします。亀田郷の土地改良区の事業は、総事業費約四十億五千万円でありまして、このうち三十一年度までに支出された額は、国営三億一千百万円、残り二千八百万円、県営用排水一億二千五百万円で残りは二億五千七百万円、県営暗渠排水は三十二年度以降十四億円、団体営十六億二千五百万円で、残りが三億円となっております。三十一年度までに二十億六千万円の事業を行い、三十二年度以降は十八億円余を残すということになっております。三十二年度以降の計画は、国営分は三十二年度において終了し、県営用排水及び団体営の分が三十四年度に完成し、県営暗渠排水を三十二年度に着手し、三十六年度に完成せしめようとしているのであります。なお総事業費四十億円は、国の補助金七億三千万円に、地元負担金三十三億九百万円でありまして、三十一年度までに補助金四億八千八百万円を受け入れ、十五億七千三百万円を地元で負担しております。地元負担金は借入金十一億五千七百万円、賦課金四億一千六百万円によっているというのであります。
 以上のように亀田郷の土地改良事業は、数年後には完成することになるわけでありますから、改良区の関係者は計画通りの完成を強く希望するとともに、完成後の償還金等についていろいろと心配もしているようであります。そこで私は、特に亀田郷の償還金について若干申し述べることといたします。
 改良区役員の説明による亀田郷の維持管理費及び償還金の反当り経費は、昭和三十一年から四十八年の十八年間において、年額、事務費は七百円から九百五十円、管理費は七百円から八百円、償還金は三十一年から三十四年まで約二千円、三十五、六年が二千五百円、…十七年から九年までが三千百円、四十年から四十二年までが四千円余り、四十三年以降は逆に漸次逓減されていくというのであります。従って農民の反当り負担額は、他の経費を含めまして、三十四年から四十三年の十年間は五千円以上となり、最低のときでも四千円をこえるというのでありますから、きわめて重い負担額となるわけであります。
 なお今回の調査の際新潟大学井上教授が、昭和三十年に亀田郷と他の地区とを比較しながら調査した、土地改良費負担能力についてという報告を聞いたのでありますが、それによると亀田郷は、五反未満の零細農の負担能力は五千百五十二円、反当り千百九十八円、五反から一町のもの二万八千円、反当り四千百二十七円、一町五反から二町のもの三万四千六百三十九円、反当り二千百三十八円、二町五反以上十四万二千八百五円、反当り五千三百二十八円でありまして、土地改良費負担能力は富農が最も高く、次いで小農、中農は小農よりはるかに低いことになっております。亀田郷の平均耕作面積が一町二反歩であるといわれておりますから、多くの農家が中農に入ると思われ、先ほど申し上げましたように、十八年間の償還金が十年間年額反当り五千円以上、八年間が四千円以上となっているのでありますから、井上教授の調査による負担能力の限界をはるかにこえていることになるのであります。従ってこのことを裏書するかのように、最近は滞納が負担金の増額に比例して増加しているという説明があったのであります。
 土地改良事業施行前のかっての亀田郷は、胸まで没する泥田に田植をして激しい労働をしながらようやく一石前後の収穫をあげていたにすぎず、その当時から見れば現在では三石二斗に増収されているのでありますから、その経済効果はきわめて大きいのであります。しかしながら事業の地元負担が能力の限界をこえ、さらに国家及び地方財政の状況から、必ずしも計画通りに予算の裏付がなされず、そのため毎年工事の一部は繰り延べされ、地元農民はやむなく借入金に頼ったりするため、地元の負担は累増していくというのであります。
 われわれに対しまして、土地改良区の理事長を初めとする関係者は、農家負担の軽減をはかるため、国及び県の補助率の引き上げ、借入金については三十年の長期として、その利子の引き下げ、年度別計画通りの事業の実施、維持管理費などに対する補助金の交付などを早急に実現するよう繰り返し陳情があったのであまりす。もちろんこれらのことは亀田郷に限られたことでなく、土地改良事業など自然条件を克服する事業はすべて同様であると考えますので、農民負担の軽減については、政策的に助成の道を考える必要があると思いますので、本委員会におかれても、これらの要請に伴う措置を講ずるよう強く希望をいたす次第であります。
 次に福島潟干拓事業の計画について申し上げます。福島潟は北蒲原郡豊栄町地内にありまして六百余町歩の面積を有し、最高一・五メートル、最低マイナス二メートルという低湿地帯であります。この福島潟は、従来個人が九割以上を所有していたもので、古くは大正十年ごろから干拓計画がありましたが、財政上及び北蒲原平野一万五千町歩の遊水池としての機能のため、着手できなかったようであります。たまたま新井郷川大排水機の完成により洪水の災害防止が可能となり、水位も安定したため技術的に容易となり、計画が具体化したものであります。
 所要資金五億円、水田の造成四百五十町歩、一万石余の増産効果をもたらし、反当り九万六千五百円の事業費として計算されております。この計画は昭和二十六年以来農林省、県等によって推進され、その調査もほぼ終了し、また農地を除き三十一年に未墾地買収として四百二十四町歩を買収し、本年五月計画書が作成されるに至ったものであります。また地元農民は干拓推進同盟を作り、町村長、農業委員会長を主体として期成同盟会を作り、この早期着工を希望している状況であります。われわれとしても、関係者の説明及び現地調査の結果、この事業の効果大なる点及び反当事業費十万円以下ということから、土地改良特別会計による国営事業を早急に着手することを強く希望いたす次第であります。
 次に南蒲原郡中之島村排水改良事業について申し上げます。中之島村は長岡市の北に接する人口一万四千、三千余町歩の面積を持つ水田地帯で、水田二千四百六十町、畑五百四十町を有し、米の生産は八万石を算するという純農村であります。しかして本村の地形は、西側を信濃川、東側を刈谷田川によって抱きかかえられ、その他小河川によって四囲をめぐらされ、従って洪水位高く、地区内一般は低湿であるため、しばしば洪水による災害を受け、古くから土地改良事業の施行が要請せられてきたところであります。
 かくして昭和の初期県営事業として土地改良を行なったのでありますが、その後完全な排水ができなかったこと、洪水位が上昇したこと、排水機の機能が低下したこと等により、再び昭和二十五年度より、三十一年度完成の計画をもって排水改良事業を行い、湛水及び地下水を排除して、完全乾田化を行い、米麦合せ一万三千二百余石の増収と、災害等の減産防止をはかり、農家経済の安定を期そうというのであります。
 本事業の計画は千二百ミリメートル毎秒三トンを二基、千三百ミリメートル三・四トン一基の排水機を大沼地先に設置して、機械排水千百二十五町歩、自然排水千四百四十五町歩、計二千五百七十町歩の排水を行い、また排水路は機械排水幹線路二百四十八メートルと左岸低水路上下流に四千三百二十メートル、右岸低水路上下流四千六百二十メートル、計約八千九百メートルの水路を設けるというのであります。事業の経費は総額四億円、国の補助半額、残額が県及び村の折半負担であります。
 このような計画のもとに二十五年度から着工し、すでに新大沼排水機場及び幹線水路、左右低水路と自然排水区域の大部分千四百町歩が完成し、残すは機械排水区域の四百七十五町歩となっているのであります。
 以上が中之島村の土地改良事業の概要でありますが、たまたま昨年本事業にかかわる補助金適正化法違反事件が惹起し、現在公判中でありまして、本委員会においても、去る二月石田委員から問題を提起し、農林大臣に対し質問いたした通りでありますので、われわれの調査の際もこの点について地元関係者の意見を慎重に徴した次第であります。
 さて補助金適正化法違反事件について簡単に申し上げます。違反事件は起訴状写しを配付いたしてありますから、ごらんいただきたいと思いますが、その主要な点は、土地改良区理事長以下三名共謀の上、二十七年から二十九年の積寒地帯の補助事業の実施に当り、三十年度に改良区への補助金割当通知を奇貨として、すでに完成した工事を実施することとして虚偽の補助金申請手続を行い、また一方県長岡土地改良事務所団体営課長外一名は、これを知りながら進達して、計七百二十六万円の補助金を不正に受領したというのでありまして、適正化法第二十九条一項、二項、同第三十二条及び刑法第六十条、第百五十六条、第五十八条第一項の適正化法違反並びに虚偽有印、公文書作成同行使の罪名及び罰条を適用するというのであります。現在までに公判は二回行われ、判決の見通しなどはまだ不明のようでありますが、その確定により補助金の返還の有無が当然起って参るのであります。
 土地改良区諸君の説明によると、積寒対策事業として、二十七年度から三カ年継続の区画整理事業として、千三、百九十五町のうち、六百十六町歩を補助事業として認可され、半分を非補助事業として実施したが、国の予算の関係で四カ年に延びることとなり、ここにこの補助事業については県営事業との関連から、湛水地帯の被害を守るべく、やむなく全体実施計画の六百十六町歩全部を二十九年度までに完成せしめて、予算割当の四百八十町歩に対し百三十六町歩の施越し工事を行なったのであり、従って事業量及び補助金にも当然残量が生ずるから、施越し部分については三十年度に予算の割当を受けるのは当然であるというのであります。また事業費は、八千五百五十万円のうち補助金は二千五百六十五万円でありますが、決算額は六千三百三十九万円で、その差二千二百万円は義務人夫賃であり、これが経費上夫役の賦課形式をとらなかったので、決算面に表わしていなかったため水増しとして摘発されたというのであります。この事件は補助金適正化法の違反事件第一号として起訴されたわけでありますが、土地改良区では、役員を改選し、新しい陣容によって土地改良事業の推進に努めておりますが、特に本事件によってこれからの事業に悪影響を及ぼさないよう配慮されたい旨の陳情があったのであります。すなわち三十一年度として六百八十五町歩の認可があり、うち百八十五町歩を完成し、残り約五百町歩となっているのでありますが、本年度にこれの割当がなく、地元では当然継続分として補助あるものと考えていたにもかかわらず、打ち切られていることは、この事件の及ぼした悪影響ではないかとずいぶん心配しているようなわけでありまして、関係当局が冷淡ではないかとの感もするのであります。ちょうど残された地区が中之島土地改良事業のうちで降雨の際湛水地区であり、すでに排水機も設置してあり、かつ事業の最大負担区域で、この上の遅延は農家にきわめて大きな痛手を負わす等の地区でありますから、これが完成を見ないうちは、せっかくの完成地区も無意味となるわけであります。従って何らかの財源方法を講じ、中断しないようにすべきであると思います。
 また補助金及び借入金の返還問題でも起れば、全体の土地改良事業の負担金等改良区が危殆に瀕するとの切々たる陳情があり、われわれとしましても他の土地改良事業に及ぼす影響もきわめて大なるものがあると考えますので、角をためて牛を殺すことのないよう十分配慮が必要であると思うのであります。またこの際義務人夫の単価及び扱い等十分検討することが肝要と考えます。幸い今後のことは、適正化法の一部改正案が大蔵委員会で継続審査になっておりますので、十分検討していただき、土地改良事業の実態に即するようにし、あわせて不正不当の起らないよう注意を喚起すべきであると思います。
 以上のほか佐渡の新穂村用水事業の現地視察、国府川左岸の用排水事業の陳情及び長岡市において上古志、信濃川右岸、小出郷、今町郷、猿橋川等の土地改良事業について説明や陳情を聞いたのでありますが、その内容等は省略いたします。ただこのうちで佐渡の新穂用水は、本年度をもって完成する業事でありますが、ため池の取水隧道が断層によって湧水はなはだしく崩壊のおそれがあるとして手直しを必要としているものであります。担当者の説明では、工法による不手ぎわでなく、戦争直後の粗悪なセメントを使用したためで、セメントを本年度に注入して手直しするから、明年からは使用し得るので心配はないとのことであったのであります。改良区の諸君は、完全に補修し、絶対大丈夫との保証を得なければ受け取らないとのことでありましたが、われわれの感じでは、四億円の多額の費用をかけて完成した施設を一年間でも遊休せしめることは遺憾であるから、このような損失をこうむらないよう十分注意を喚起する必要があります。
 また長岡市におきまして、猿橋川土地改良区の一部組合員が集団陳情に参ったのでありますが、その話によりますと、改良区設立の際、組合員となった覚えのない者に対して、数年間負担金を徴収せずに放置していながら、改良区は最近になって事業区域内で三分の二の賛成を得ており、組合員であるから、法の示すところに従い、今までの分を含めて強制徴収するという通知を受けたので、この際脱退を認め、賦課金などの徴収を禁止してもらいたいというのであります。この陳情には多少無理からぬ点もあるようでありまして、これの解決は当事者の話し合いはもちろんのこと、土地改良法による脱退もしくは賦課金軽減の道もありますので、県のあっせんなどによって合理的な処理をはかるべきであると考えます。このようなトラブルは土地改良事業には多かれ少かれ発生すると思われますので、当事者の慎重な対処と行政庁の適切な指導を望む次第であります。
 以上をもちまして新潟県の土地改良事業の調査報告を終りまするが、結論として、土地改良事業の農民負担を軽減すべきであること、事業は計画通り実施して繰り延べなどは行わないことであります。この結論のように進めることが、事業にきわめて熱心な関係農民の声にこたえ、国策に沿うものと考える次第であります。
 以上で私の報告を終ります。(拍手)