富島町

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越後長岡 飛島の里
戊辰 長岡戦争古戦場
『八丁沖古戦場』
八丁沖古戦場は長岡の東北郊外百束、大黒あたりから南は富島、亀貝にいたる南北約5キロ、東西約3キロにわたる大沼沢地であった。
河井継之助は長岡城奪回のため、長岡全軍の力を一つにして、この八丁沖を密かに渡り、一気に城下へ突入することを計画した。
そして慶応4年(1868)7月24日午後7時ころ行動を開始し、全軍600余名声をひそめて潜行し、7月25日未明に富島にたどり着き、
大激戦のすえ宮下の新政府軍前線基地を占領した。さらに全軍を4手に分け長岡城めざして猛進撃に移った。
不意を突かれた新政府軍は、必死に防戦したが、昼すぎには勝敗は明らかとなり、長岡城の奪回に成功した。
継之助のこの八丁沖渡河作戦は、この方面の防備が手薄なのを察知し、巧みにその虚をついた作戦として現在でも高く評価されている。
富島の歴史富島の史跡・民俗青年会

世帯数
101世帯
人口
350人
男 176人
女 174人

H19.9.1現在
123世帯 389人

男 196人

女 193人

H26.4.1現在